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ぼーっとしてたら2025年になっている。ふざけるなよ。
年明けてから一週間経ってようやくこんなことを書き始める自分こそ、ふざけるなである。
もう2025年の雰囲気が嫌でも馴染んできたこのタイミングで2024年を振り返っておこう。
2023年の春からお世話になっていたIPA未踏IT人材発掘・育成プログラムを無事修了した。ありがたいことにスーパークリエイターという称号までいただくことができて、今日から俺はスーパークリエイターだ!とか思ったけど普通にただの26歳男性であることに変わりないので、称号って難しいなと思った。
そんなことはさておき、かれこれ2年間にわたる「空間を奏でる電子楽器」というプロジェクトに一旦区切りができて、ホッとした。と同時に、まだまだやりたい実装が残っていて、今もなお粛々と制作を続けている日々である。
最終成果発表の帰り道に、ドビュッシーの「海」をあらためて聞いていた時、昔の人は写真というメディアが無い代わりに、楽曲にその時の情景を焼き付けていたんだなぁと思い知らされる。あまりに情景が繊細に音に翻訳されていて、単なるサウンドスケープの粋を超えて景色が目に浮かんでくる。偉大な作曲家たちに「これ、phonomaって言う楽器です!これ使えば景色を音楽にできるんですよ」ってプレゼンしても、鼻で笑られると思う。まだまだだ。
エジソンが蓄音機で音楽を再生できるようにしたように、俺はphonomaで景色を音として再生できるようにしたい。作曲家による景色の楽曲化に敬意を示しながら、景色を音として再生するとはどういうことか、これからも深めていきたい。
電車の吊り革をテーマにした企画展示。
大学の有志たちが集まって企画した。ずっと研究棟にこもって一人で制作していたので、久しぶりに人間界に降りてきたクマのような気分ですごく楽しかった。
吊り革の持ち手部分をみんなで考えて作って展示する。本当に簡単なことなんだけれども、すごく多くの人に楽しんでもらえて、なんか、ほんと、めっちゃ嬉しかったのを覚えている。SPATIALIZER、phonomaと、なかなか多くの人に面白さが伝わらないもどかしさみたいなものを感じていたからなんだろうか。シンプルな味付けでめっちゃ美味しいみたいな、そんな素朴な楽しさを届けることができたことに一人で勝手に感動していた。
いつかは電車の中で展示したいね。
映像を奏でる楽器を作るプロジェクト。
流れは早いもので、プロトタイプを作って1週間後には「ライブに持っていきたいね」って話になっていたので、よりパフォーマンスに特化したモデルに着手していた。現状、ボタンを使ってタイミングよく映像を操作する、というのがメインとなるので、「演奏しやすいボタン配置」がインターフェースを設計する上での一番のテーマになった。キーボードの配列とか、グルーヴボックスのボタン配置とか色々参考にしたんだけども、やはりこれに勝るものはなかった。
アケコンである。ディスプレイ越しに死闘を繰り広げる格闘ゲームにおいて、アケコンは現代の拳、さながら日本刀といったところだろうか。少しの操作ミスも許されず、数々のK.O.を生み出してきたアケコンには、それを裏付ける独自のボタン配置が確立されていた。
アキバのヨドバシで触ってみたけど、確かにこれは押しやすいし、どのボタンにも等しく力を入れやすい。ということでアケコンに習ってインターフェースを設計したモデルv1.0を開発した。岡本くんにいろんなライブに持って行ってもらって感触を確かめてもらっている。さてここからソフトがどう進化するか。
道具だけを使った即興ライブ。
5時間ぶっ続けで、PC抜きのマシンライブをやった。音楽と映像、どちらも即興でプレイするという演奏というより、もはや修行の沙汰である。終わった時にはとんでもない立ちくらみが襲ったけれど、すごく楽しかった。
音の塊であそぶおもちゃ。
丸い形から丸い音が、尖った形から尖った音が出たら、面白い。と思ってやまないんだけど、なんでそう思うのかは俺もまだわかっていない。だから作って試したい。そんなきっかけだったと記憶する。
3Dプリンターで作った形をスキャナーで読み取ることで音にする。原理的にはSPATIALIZERと大きくは変わらないんだけど、手元で触れる形として遊べる点が大きな違いとなる。3Dプリンターで形を作るだけだと時間がかかるので、もっと試行錯誤が繰り返せるように「ねんど」を使ったモデルにアップデートした。
まあこれが面白い。自分が凹ませた部分で、音も低く凹んだりするとなんか嬉しいのである。なんなんだろうねこれ。形と音がシンクロしてるだけなのに何故か楽しい。
運動共感ってキーワードが関わっているような気もするんだけど、いまいち言語化できていない。「こうなったらいいなって思ったことが、ちゃんとそうなる」ことって当たり前なんだけどなんでこんなに楽しいんだろう。形→音という因果でしか成し得ない芸当なのかなこれ。
何気にいまだに自分をいい意味で悩ませている作品。
手と手で挟んで、息を合わせるおもちゃ。
息を合わせる遊びって楽しいよね。こういった当たり前のことを、ちゃんと体験やプロダクトとして落とし込む、みたいなことに取り組んだ年だった気がする。
二人の手でデバイスを挟んで、光ったところをお互いの息を合わせて押さえ続ける、というシンプルで誰もが楽しめるルール。簡単そうに見えるけど、これがなかなか難しい。
まず、指が思ったように動かない。これは、お互いの手で挟んでいるというのが大きい。手と手を支えるという構造上、お互いの力加減の微妙な違いによって指が動かしづらいのだ。どっちかが無理に指を動かそうとするとすぐバランスを崩して落としてしまう。
でも、声を掛け合って「せーのっ!」って動かすとあら不思議。すんなりと指が動く。息を合わせるということが、ゲーム体験に密接に影響してくるのが面白い。
お互いの力加減を調整し合って、ピッタリと指を合わせる。シンプルながらも息を合わせる難しさと、気持ちよさを実感できる遊びに仕上がっている。ぜひ今年どこかで展示したい。
今年もなんだかんだで色々やりましたね。
自分の中で作りたい体験のコアみたいなのがちょっとずつ見えてきているような気もする。大胆に作風も変わったし。とはいえ楽器にしろ玩具にしろ、おもしろい「あそび」を作りたいという原点はあんまり変わってない。
2025年は、おそらく学生最後の年(にしたい)、学生身分を存分に活かして無我夢中にものを作っていきますか。真面目に、ふざけずに。