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ふと何を思い出したのか、焼売を作ろうと思い立った。
急に小さい頃の思い出がフラッシュバックして懐かしくなることがあるだろう。それが「ばあちゃんちで焼売を包んでいた時」だったのだ。
個人的に焼売は餃子よりも簡単に作れる。
なぜなら完全に包む必要がないからだ。
肉汁を余すことなくこぼさんとする餃子に対し、焼売は少々寛容だ。
人差し指と親指を使って輪を作り、そこに焼売の皮を載せて少し窪ませ、そこにタネを入れると勝手に包まれていく。
さて、
さっそく蒸していこうと、油を敷いたフライパンの上に焼売を並べていた時に、妙な物足りなさを感じた。
「何かが足りない...」
「絶妙に色合いが地味だな...」
なんてことを考えていると、冷蔵庫にコーン缶が残っていることを思い出した。
そうだこれ載せようと思い立って、3粒ずつ上に乗せていく。
なかなか良い出来だ。
この時にやっとグリーンピースを思い出したのだ。そうだ、焼売にはグリーンピースだったと。
ここまで読んで気づくの遅すぎるだろと言われるのも仕方ない。
でもこの時どことなくニヤニヤとしてしまった。
なるほど、グリーンピースを最初に乗せた人も、こんな気持ちだったんだろうかと。
確かに焼売を並べてみると、何かを載せたくなる。そしてそれがグリーンピースが適役であるとも。
焼売のグリーンピースには諸説があるが、
などの理由があるらしい。
いろんな事情があったのだろうが、そういった理屈は抜きにしたとしても、グリーンピースは乗せるのだ。
円柱上に包まれた肉だねの上は、もうあと一歩で完成だよといわんばかりのアピールを感じる。これで終わっていいの?何かあるよね?乗せるもんがあるよね?と焼売が必死に煽りかけてくる。
そこにまんまと乗っかった人間は、グリーンピースを乗せるのだ。
もはや焼売と人間の間に約束された本能といっても過言ではないだろう。認知学の言葉を借りれば、さながら焼売のアフォーダンス、グリーンピースのシグニファイアとでも言おうか。
現代は、受動的に飯にありつけるが故に、焼売のグリーンピースに疑問を持つことなどほとんどなく、美味しくいただける。
全然便利でそれで良いのだが、いざ自分で作ってみると、当時料理をしていた誰かの視点に立ち会えたような気がして、料理を介してタイムスリップをしたような気分になれる。これが本当に楽しいのだ。