嘘です。流石に必需品すぎて手放すことはできないと思います。
ただ、日光東照宮を見て、かつての宮大工が自分をみたら「舐めんな」と言われるだろうな。そう思ったわけです。
気が狂いそうになる造形。どこから見ても手抜きのない装飾。なんてこった...
3Dプリンターにデータセットして寝とけば朝にはできてるインスタントな創作活動をしている自分が情けなくなった。
これとかさぁ...光造形で出せそうとか少し考えた自分を引っ叩きたい。
一人一人が誇りを持って、そして存分にのめり込みながら作っていたんだろうなと考えてしまう。
引きで見た時の圧倒的な密度。それでいてまとまっている。
狂気を超えた泰然とでも言えるだろうか。
作り手が誰も存命でないが故に、もはや「作れて当たり前だが?」と言われているような、そんな気分になってしまった。
はるかに手早く、すぐに造形ができる、3Dプリンターってものを手にした自分は、果たしてこの東照宮を超えられているか?と聞かれたらぐぅの音もでない。
感動と落胆の入り混じった、そんな日光東照宮。またいつか。