大学に入ってから、よく考えるようになったこと。
それは、「物事を過剰に大きくしすぎない」ということ。
何か不都合や嫌なことが起きたとき、原因や解決策を探る前に、問題そのものを必要以上に大きくしてしまう人が少なからずいる。そういった人たちの意見は往々にして非常に長いが、解決策を伴わず、ただ意見を述べるだけに終わってしまっている。
これは、個人が容易に発信できる現代の情報環境に起因している部分もあるだろう。SNSを通じて、個人の思いや不満を一気に広範囲に届けることができるため、本来なら捉え方を変えたり、周囲と協力して解決策を考えれば済むような小さな問題も、拡散される過程で肥大化し、社会全体に悪影響を及ぼす「うねり」となってしまうことがある。
その様子を見ていると、「本当にそれがあなたのしたかったことなのか?」「共感を集めた先に、次に何をしたかったのか?」と問いたい。単に共感を集めるだけで満足してしまっていないか。次に進むための建設的な意志が伴っていないなら、それはただの自己満足にすぎないのではないかと感じてしまう。
もちろん、私自身が楽観的な性格であることは自覚している。人それぞれ価値観や問題への捉え方は異なるし、物事の大小の捉え方に違いがあるのも当然。熟考の末、意見を広めることが必要ならそれも一つの手段だと理解している。
しかし、それを踏まえてもなお、本来「2」の規模で収まるはずだった問題を、「10」にまで膨れ上がらせる、といったことは避けるべきだと思う。
課題を発見し、発言する立場にある人は、それを大きく見せるのではなく、小さく収める努力をすべきだと考える。仮に他者を巻き込む場合でも、その規模感を誤認させず、あくまで問題の本質をコンパクトに共有する責任がある。
健やかに問題を解決していく人とは、問題の本当の規模を正確に見極め、必要以上に不安を煽ることなく、周囲に安心感を与えながら建設的に道筋をつけられる人だ。本当は「5」の規模の問題でも、「3」程度に感じさせ、穏やかな空気の中で着実に解決へと導く。
問題は盛るな、鎮めよ。